水、お弁当、乾電池

地震から13年経ちました。当時のパン玉はまだ学生で、コンビニの早朝バイトをしていて、揺れた時は起きていた。身支度をしていたし、家族全員無事だったし、家の中が散らかっているだけで大丈夫そうだったので、出かけていった。


店内の商品は散乱していたけれど、1時間弱で片付く程度だった。いつもより遅れて店を開けるとドッと買い物客が入ってきた。水とお弁当と乾電池がとてつもなく売れた。大学はちょうど試験初日で、その日は自分の試験はなかったので午前11時くらいまで働いて、売り上げがたしか4時間で30万円(普段ならありえない金額)でびっくりした。家に帰ってテレビをつけたら、神戸がすごいことになってた。


その当時、各地の避難所で「赤い張り紙」が目立っていたそうです。博報堂の広告マンが会社として何ができるか?を考え、60万枚の赤いコミュニケーション用紙を発注し、人知れず配布していたのだと、最近になって分かったそうな。
http://plaza.rakuten.co.jp/tukusimr/diary/200801130000/


インターネットがなく、携帯も今ほど普及してなかった頃の話です。今なら何が出来るんだろう?今の自分なら何が出来るんだろう?水、お弁当、乾電池を探しまわってオロオロするだけじゃない人間になれてるんかな?そういうことを少し考える。